大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和45年(行ウ)88号 判決

原告 石原一美

被告 東京都大田区糀谷福祉事務所長

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

原告は「被告が原告に対し昭和四四年一一月一〇日付保護廃止通知書をもつてした原告の生活扶助および住宅扶助を同年一〇月二〇日以降廃止する旨の決定はこれを取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、被告は主文同旨の判決を求めた。

第二原告主張の請求原因

一  原告は被告から昭和四四年六月一〇日付をもつて生活保護法による生活扶助および住宅扶助の保護開始決定を受けたものであるが、被告は同年一一月一〇日付保護廃止通知書をもつて原告の右生活扶助および住宅扶助を同年一〇月二〇日以降廃止する旨の決定をなし、原告は同年一一月二八日その通知を受けた。

二  原告は右処分を不服として、同月二九日東京都知事に対し審査請求をしたが、審査請求後五〇日を経過しても同知事から裁決がないので、生活保護法第六五条第二項により右審査請求は棄却されたものとみなすものである。

三  右保護廃止決定は、原告がその住居を東京都大田区大森中三丁目一四番二号から同区仲六郷二丁目三番五号ときわ荘に移転したことにより、被告の原告に対する保護の実施責任が消滅したとしてなされたものである。

四  しかしながら、原告の右転居によつて被告の原告に対する保護の実施責任が消滅したとすることは誤りであり、したがつて、これを理由としてした被告の右保護廃止決定は違法であるから、その取消を求める。

第三被告の主張

(請求原因に対する答弁)

請求原因一ないし三の事実はすべて認める。

(抗弁―処分の理由)

転居前の原告の住居である東京都大田区大森中三丁目一四番二号は被告の所管区域であるが、転居後の住居である同区仲六郷二丁目三番五号は被告の所管区域外であり、したがつて、右転居により原告は被告の所管区域内に居住地を有する者ではなくなつたので、被告の原告に対する保護の実施責任は消滅した。すなわち、

生活保護法(以下単に法というのはこれを指す。)第一九条第一項は、都道府県知事、市長および福祉事務所を管理する町村長は、その管理に属する福祉事務所の所管区域内に居住地等を有する要保護者に対して同法の定めるところにより保護を決定し、かつ、実施しなければならない旨規定し、都道府県知事、市長および福祉事務所を管理する町村長をもつて保護の実施機関としているが、地方自治法第二八一条の三第二項によれば、市長の有する右権限は特別区の区長の権限とされているので、特別区の区長もまた保護の実施機関といわなければならない。

しかるところ、保護の実施機関は保護の決定および実施に関する事務の全部または一部をその管理に属する行政庁に限り委任することができるので(法第一九条第四項)、東京都大田区長はその有する保護の決定および実施に関する権限の全部を「東京都大田区の福祉地区および福祉に関する事務所設置条例」(昭和四〇年三月二二日条例第四号)に定める福祉地区ごとに設置した各福祉事務所の長に委任したが、右条例によると、右転居前の原告の住居である東京都大田区大森中三丁目一四番二号は被告の所管区域であるが、転居後の住居である同区仲六郷三丁目三番五号は東京都大田区池上福祉事務所長の所管区域であり、被告の所管区域ではないので、原告は右転居によつて被告の所管区域に居住地を有する者ではなくなつた。

このように原告が被告の所管区域外に転居することにより、被告の原告に対する保護の実施責任は消滅するのである。法第一九条第一項によれば、保護の実施機関はその管理に属する福祉事務所の所管区域内に居住地等を有する要保護者に対して保護の実施責任を負う旨規定されているので、被保護者が保護の実施機関の管理に属する福祉事務所の所管区域外に移転した場合は移転先の実施機関があらたに保護の責任を負い、従前の実施機関の実施責任は消滅すると解すべきことは明らかであり、殊に、被告のように東京都大田区長から福祉地区に限定されて委任を受けている場合には保護の実施責任もその地域内に限られるから、原告が被告の所管区域外に転居した以上、被告の原告に対する保護の実施責任は消滅するものといわざるをえない。

そして、その場合に、被告が原告に対し原告の保護を終局的に打切る措置として手続上保護の廃止決定をなしうることは、その旨を直接明示した規定はないが、解釈上当然のことである。

ちなみに、東京都大田区の生活保護法施行細則(昭和四〇年三月三〇日規則第三五号)第三条第二項は、被保護者が居住地を管轄区域外に移転したときは福祉事務所長は新居住地を管轄する福祉事務所長に通知しなければならない旨規定し、管轄区域外に移転したことによる実施責任の消滅後における措置を従前の福祉事務所長がとるべきこととしている。

なお、付言すると、被告は、右施行細則の規定にしたがつて、原告が転居したことを転居先を管轄する東京都大田区池上福祉事務所長に通知し、原告の処遇に遺漏のないよう措置を講じている。

第四抗弁に対する原告の認否および反論

(抗弁に対する認否)

転居前の原告の住居である東京都大田区大森中三丁目一四番二号が被告の所管区域であることは認めるが、その余の被告の主張はすべて争う。

(原告の反論)

一  特別区の区長が保護の実施機関でないことは、法第一九条第一項が保護の実施機関として都道府県知事、市長および福祉事務所を管理する町村長に限つていることからも明らかであり、また、地方自治法第二八一条の三第二項の規定が特別区の区長を保護の実施機関とする趣旨を含むものと解することはできない。したがつて、東京都大田区長を保護の実施機関であるとし、被告は同区長から糀谷福祉地区に限つて保護の決定および実施に関する権限の委任を受けたものであるとの被告の主張は誤りである。

二  法第一九条一項の規定は、同条第四項と相まつて、都道府県知事、市長および福祉事務所を管理する町村長がその統轄する地域ごとにその管理に属する福祉事務所の長に保護の決定および実施に関する事務を委任しうるよう定めたものである。

そして、被告は東京都知事の設置した東京都大田区糀谷福祉事務所の長であり、同知事から保護の決定および実施に関する事務の委任を受けたものである。したがつて、被告が右委任に基き原告の保護を開始した以上、原告がその後に至つて転居しても、同知事が保護の実施機関として保護の決定および実施に関する事務を執行しうる区域内(すなわち、東京都内)である限り、同知事の管理地域であることに変りはないから、被告の所管区域内に居住地を有する者というべきである。

三  保護の廃止は被保護者の権利、利益を奪うものであるから、法令に明文の規定のある場合に限つてなしうるものと解すべきである。しかるに、被保護者が居住地を所管区域外に移転したことをもつて保護を廃止しうるとした規定はないから、この点からも被告のした右保護廃止決定は違法であるといわざるをえない。

第五証拠関係〈省略〉

理由

請求原因一ないし三の事実は当事者間に争いがない。そうすると、被告のした前掲保護廃止決定の適否を決する争点は、原告が東京都大田区大森中三丁目一四番二号から同区仲六郷二丁目三番五号ときわ荘に転居したことが保護廃止決定の理由として適法か否かということに帰着するので、この点について判断する。

生活保護法第一九条第一項は、都道府県知事、市長および福祉事務所を管理する町村長はその管理に属する福祉事務所の所管区域内に居住地等を有する要保護者に対して、同法の定めるところにより保護を決定し、かつ、実施しなければならない旨規定し、都道府県知事、市長および福祉事務所を管理する町村長をもつて保護の実施機関とするとともに、実施機関の管轄の原則を定め、また、同法第一九条第四項は、保護の実施機関は保護の決定および実施に関する事務の全部または一部をその管理に属する行政庁に限り委任することができる旨規定し、実施機関が保護の具体的事務につき所轄の福祉事務所長に委託しうる建前をとつている。

ところで、生活保護は国の事務として行なわれるものであり(憲法第二五条、生活保護法第一条参照)、都道府県知事、市長および福祉事務所を管理する町村長が保護の実施機関として保護の決定および実施の事務の執行を担当するのは、国の委任を受け、国の機関として国の事務を処理する関係にあることになる(地方自治法第一四八条、同法別表第三の一の(四三)、別表第四の一の(一八)、二の(一九)参照)から、特別区の区長は市長の義務権限とされている右の保護の決定および実施に関する事務を管理、執行することとなり(同法第二八一条の三第二項)、したがつて、特別区の区長もまた保護の実施機関であり、保護の具体的事務につき所轄の福祉事務所長に委託することができるものである(この点に関する原告の主張は独自の見解であつて採用できない。)。

そして、福祉事務所長は各福祉事務所ごとに置かれ、その福祉事務所の所管区域における所務を掌理するものであるから(社会福祉事業法第一四条第一項、第二項、第一六条参照)、委託された保護の事務についてもその所管区域についてのみ執行しうるものであつて、その所管区域外においてこれを行なうことは違法であり、許されないものと解すべきである。したがつて、被保護者がその居住地をその所管区域から他に移転した場合には、従前の福祉事務所長は、爾後、その者に対し継続して保護を実施することができなくなるものというべきである。

そこで、成立に争いのない乙第一〇号証によれば、東京都大田区長は、生活保護法施行細則(昭和四〇年三月三〇日規則第三五号)をもつて、生活保護法の規定する同区長の保護の決定および実施に関する権限の全部を「東京都大田区の福祉地区および福祉に関する事務所設置条例」(昭和四〇年三月二二日条例第四号)に定める福祉地区ごとに設置した福祉事務所の長に委任している(同施行細則第一条参照)ことが認められ、右条例は原告の転居前の住居である東京都大田区大森中三丁目一四番二号を東京都大田区糀谷福祉事務所の所管区域である糀谷福祉地区とし、転居後の住居の同区仲六郷三丁目三番五号を東京都大田区池上福祉事務所の所管区域である池上福祉地区としているので、原告が前記のように転居したことにより被告は最早原告に対し保護を実施しえなくなつたものと解さざるをえない。

そうとすれば、被告としてはさきに原告に対し保護の開始決定をしているので、これをそのまゝ放置しておくことは手続の明確性を欠き、混乱を招く虞れなしとしないから、手続上原告の保護を終局的に打切る措置として保護の廃止決定をなしうるのであつて、このことは法の当然に予定するところと解するのが相当である。

以上の次第であるから、原告がその住居を東京都大田区大森中三丁目一四番二号から同区仲六郷二丁目三番五号ときわ荘に移転したことを理由に被告のした前掲保護廃止決定に違法はないものといわなければならない。

(なお、付言すると、生活保護は憲法第二五条の理念に基き生活に困窮する国民に対して認められた国家的扶助の制度であることに鑑みれば、被保護者がその居住地をその所管区域外に移転することによりその者の保護を打切ることが違法でないとしても、実際の取扱いにおいては、被保護者の保護に遺漏のないようなんらかの措置の講ぜられることが望まれるところ、成立に争いのない乙第七号証、第一〇号証および証人安原正雄、同杉浦栄の各証言によれば、東京都大田区長は、前記生活保護法施行細則第三条第二項において、福祉事務所長は、被保護者が居住地をその管轄区域外に移転したときは、被保護者転出通知書により、新居住地を管轄する福祉事務所長に通知しなければならない旨規定し、被告は、右規定に基き、原告の転居につき昭和四四年一〇月三〇日付をもつて東京都大田区池上福祉事務所長にその旨の転出通知をしたこと、同通知を受けた右池上福祉事務所長は直ちにその所員をして原告の調査にあたつていることが認められるので、本件の取扱い上の措置の点についても不当な点はない。)

よつて、右決定の取消を求める原告の本訴請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 高津環 小木曾競 海保寛)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例